バルカン半島最大の湖、シュコダル湖。そのふもとにあるシュコダルという街から、さらに4時間ほど北へ向かった先に、「呪われた山」と呼ばれるテス山が存在するらしい。
バルカン半島ですれ違う旅人の多くは、たいていクロアチアのスプリトから始まり、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル、モンテネグロのコトルやブドゥバを経て、アルバニアのシュコダルへと抜ける沿岸のルートを目指す。そして、アルバニア側から北上してきた旅人は皆、口を揃えてこう言うのだ。「シュコダルは最高だぞ」と。そんな話を耳にするたび、クロアチアにいた頃のぼくは、まだ見ぬ景色を想像しては、密かに期待を膨らませていたのである。
モンテネグロの首都ポドゴリツァにて、ドゥルミトルで一緒にハイキングをしたアメリカ人のB君と鉢合わせた。彼が「明日シュコダルへ向かう」と言うので、これも何かの縁だと、登山の疲労が回復しない中、一緒のバスに乗ることにした。
バルカン半島のバスは時に地獄と化す。日中の気温が38度を超える中、バスの運転手は当たり前の顔をして「エアコンとシートベルトはないよ」と告げてくる。この理不尽な挑発に負けてはいられない。こちらも旅人としての余裕を見せつけるため「ノープロブレム」と返し、「ふふふ、やるじゃねえか。そうくると思ったぜ。」と涼しげな顔で応戦した。
ところが走り出して10分、車内は昭和のストロングスタイルのサウナに匹敵する暑さとなる。乗車時の強キャラはどこへいったのか、よわよわになったぼくは「ひぇー、暑すぎる!このままではシュコダルに着く前に小籠包みたく蒸されてしまう。バルカンの神様、許してーーーっ!!!」と、開始早々白旗を上げることになった。
しかし、そんな情けない声が神様に届いたのか、数分後にリュックサックからカチカチに凍ったペットボトルが発見される。毎朝、凍らしたペットボトルをリュックサックに放り込むのが無意識のルーティンとなっていたため、あまりの暑さと疲労により、己で仕込んでおいた救世主の存在をすっかり忘れていたのだ。
「ああ、こんなところに神はおわしたかっ…!」
氷水を喉に流し込むや否や、今度はそのペットボトルを首の動脈に全力で押し当て、「頼むから涼しくなってくれェッ!」と心の中で絶叫しながら、シュコダルまでの道を耐え抜いた。

【発掘地】リュックサック右側の最下層部
なんとかシュコダルに到着。別々の宿を取っていたB君とは一旦別れ、フラフラになりながら予約していたホステルへ駆け込んだ。チェックインを待つ間、バーカウンターにいるタトゥーのいかつい兄ちゃんが「よぉ、長旅お疲れさま。みんなで記念に一杯飲もうぜ!」とピンク色の液体が入ったショットグラスを差し出してきた。バルカン名物の蒸留酒、ラキヤである。いくら名物であるとはいえ、到着するなりいきなりラキヤが振る舞われるのは、決して当たり前の接客ではない。そう、ぼくは知らず知らずのうちにゴリゴリのパーティーホステルを予約してしまっていたのだ。
現在、気温は38度越え。登山の疲労と灼熱のバス移動が重なり、ぼくの体力はHPゼロ、まさに満身創痍の状態だった。しかし、タトゥーのいかつい兄ちゃんに悪気は1ミリもない。むしろ、旅人へ最高のおもてなしをしようと、石田三成が豊臣秀吉に三献の茶を振る舞うかのように、丁寧な所作でラキヤを注ぎ、満面の笑みで声をかけてくれたのだ。
ふと周りを見渡すと、そこはNetflixの恋愛リアリティ番組『ザ・ジレンマ』のような世界。男たちはみな上半身裸でビール片手にタバコをスパスパとふかし、女たちは日焼け止めをたっぷり塗った肌をこんがりと焼きながらスミノフ片手に楽しそうに談笑している。
圧倒的アウェイ。しかも、熱中症気味でなんなら少し風邪っぽい。今思えば、身体が「今すぐベッドで休憩してください」とSOSのサインを一生懸命出してくれていたのだが、何を思ったのか、当時のぼくは「日本男児がこんなところで日和ってちゃいかん!!!」「ラキヤごとき飲まずにチェックインしては、末代までの恥だーっ!」と謎のスイッチが入ってしまっていて、差し出されたラキヤを立て続けに3杯、胃袋へ流し込んだのである。
「カァーッ、うまいっ!!」わざとらしく息を吐き出し、空になったグラスをドンッとカウンターに置くと、タトゥーのいかつい兄ちゃんは「やるじゃねえか、日本人。また後で飲もうぜ!」と告げ、その場を後にした。周りのパリピたちにも認められたような気がしたぼくは、意気揚々とルームキーを受け取り、ドミトリーのベッドに腰を下ろした。
アルコールと謎の達成感が生み出した「無敵モード」の効力はしばらく続いたため、B君と合流し、少し早めの夜ご飯に出かけることにした。お互いのホステルで得た情報を交換すると、どうやら【シュコダル→コマン湖(フェリー)→バルボナ&テス(ハイキング)→シュコダル】という周遊コースが人気だということが判明する。ついにあの待ち侘びた「呪われた山」への扉が開かれようとしているのだ。


B君と「どういう風に手配を進めるか」を話し合っていた、まさにその時。突然、身体が「はい、もう無理でーす」と完全に限界を迎えた。無理をして流し込んだ3杯のラキヤが、時間差で本格的に襲いかかってきたのである。なにも考えられなくなってしまったぼくは、B君に平謝りし、青ざめた表情でホステルへ逃げ帰ることにした。
結果、ぼくはそのまま4日間寝込むことに。楽しみにしていた「呪われた山」は当然のごとくお預け。山へ向かうよりもずっと前に、ぼくはシュコダルのパーティーホステルにて、自らの手で「ラキヤ」という名の強烈なお酒の呪いにかかってしまったのだ。
まったく28歳にもなって馬鹿みたいな話だが、こういうみっともない失敗が、なぜか良い思い出になってしまうのだから、やっぱり旅というのはやめられない。
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